田中吉政の墓は真勝寺 | 武将の墓所巡り(福岡県柳川市)

田中吉政(たなかよしまさ)
1548年〜1609年
主君:宮部継潤→豊臣秀次→秀吉→徳川家康→秀忠

主な経歴

・近江国の出身。
宮部継潤の家臣から身を起こす

筑後一国柳川城32万石の国主
領地として預かった滋賀県近江八幡市、
愛知県岡崎市、福岡県柳川市の
都市設計を行い、現在もその名残が残る

豊臣秀次の宿老。一番の側近として支えた。
秀次の愚行を諌め続けたため、
秀次が罰せられた際も吉政は罰せられなかった。

・関ヶ原の戦い後、逃亡中の石田三成を捕縛した

・キリスト教に帰依していた。霊名はバルトロメヨ。

 

墓所は柳川市の真勝寺に

寺名:真勝寺(しんしょうじ)
住所:福岡県柳川市新町5-10
宗派:真宗大谷派
創建:1489~1491
開基:?

田中吉政公が深く帰依した寺院で、
二代藩主忠政が吉政の遺骸を葬り、
その上に伽藍を建てたと言われています。
よって本堂自体が吉政の墓とされています。

 

冒頭写真出典:wikipedia

 

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