母里太兵衛の墓は麟翁寺 | 武将の墓所巡り(福岡県嘉麻市)

母里友信/母里太兵衛
1556年〜1615年
主君:黒田官兵衛→黒田長政
黒田八虎の一人

 

播磨国飾磨郡妻鹿の国人、
曽我一信の次男として誕生。
母里姓は母親側の姓です。

 

13歳の頃から黒田孝高(官兵衛)に仕えました。
1569年に起きた
赤松氏と黒田氏との戦いにおいて、
母里家の将が戦死してしまったため、
母里姓を継承し母里太兵衛になりました。

 

妻は大友宗麟の娘です。
豊後の有力大名である大友宗麟の娘が、
なぜ播磨の国人に嫁いだのかは、
はっきりとしたことは把握できていません。
播磨と繋がり毛利氏を
挟み討ちしようという狙いですかね。

 

黒田官兵衛の片腕として、
重要な戦に参戦し活躍し、
1万8,000石を与えられました。

 

墓は麟翁寺に

寺名:麟翁寺(りんのうじ)
住所:福岡県嘉麻市大隈町1023番
宗派:曹洞宗
創建:1615年
開基:母里太兵衛

 

元々は大雄山永忠寺という名で、
後藤又兵衛の母親を弔うために
又兵衛が開山創建された。

1606年に又兵衛が出奔し、
寺を維持できなくなるが、
益富城の新しい城主となった
母里太兵衛友信が母里家の菩提寺と定めた。

母里太兵衛の戒名である
「禪居院殿麟翁紹仁大居士」からとって
「麟翁寺」と名前が改められた。

 

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